頭はデヨリヒョンに向かってるのに、俺の気持ちはそうならない。見えるものだけが全てじゃないから、俺の行動だけを見て俺を理解しようとしないで。そうやって俺の気持ちを誤魔化しては、いつもごめんなさいっていう気持ちが押し寄せてくるんだ。どうして素直になれないんだろう。本当にヒョンは俺に気づいてないの?ヒョンが思うより俺はピュアじゃないんだよ。時には悪い想像だってするんだよ、さらけ出してないだけなんだよ。いつもそんなに俺に優しくしないでよ。ヒョンを追う表情は本当はぎこちない笑顔なんだよ。精一杯取り繕ってるだけなんだよ。だから、どうか、本当の俺を探し出してよ。この行動の裏に隠された意味を考えてよ。ただの軽い誘惑だと思わないで。


第二話 Temptation


母親のお腹の中に居るときから、チャンフンの普通の人生はすでに奪われていた。栄養がほとんど弟のチャンジュンに偏っていたせいで未成熟児として生まれたチャンフンはしばらくの間危険な状態が続いたらしい。「心臓が止まりかけたこともあったのよ」と母親が涙ぐんで話してくれたことがあった。小さい頃は入退院の繰り返しで病人らしくガリガリで幽霊のような青白さだった。窓から外を眺めていたチャンフンと目が合ったチャンジュンの友達が、驚いて逃げていくこともあったくらいだった。小児科病棟が幼少期の居場所だったおかげで年上には可愛がられる性格に育った。でも、そんなことよりも同い年の友達が欲しかったし、学校に通いたかった。校庭を自由に駆け回りたかったし、給食が食べてみたかった。
アイドルが夢になった理由だって、歌って踊れてかっこいいからではなく、スポットライトの下で純粋な愛を浴びたかったからだった。哀れみからくる称賛じゃなく、実力だけで評価される世界で生きたかったからだ。チャンフンは愛に飢えた子供だったのだ。中学に上がった頃から親に隠れて情報収集を開始して、下準備を十分にしたのちに説得をした。
幸い芸能の才能は神様が授けてくれていたので、オーディションには一発で合格した。しかし、「受けるだけなら、二人で行くなら」とソウルへ送り出してくれた母親も、チャンジュンを置いて単独行動したことを重く受け止めて、せっかく大手に受かったのに全く喜んでくれなかった。それどころかその日に声をかけてきた中堅事務所と勝手に話を進めてそこなら良いと言う始末だった。契約の話し合いの際に出た驚くべき提案は、きっと大人同士ですでに合意があってのことなのだとチャンフンは思った。それは、チャンジュンと二人三脚で頑張るのであれば練習生になることを許可するというものだった。それも、契約上は1人の人間として、である。いくら昔より元気になっていても、夜通しの練習や活動期のハードスケジュールに耐えられるほどの体力はない、というのが親と担当医、そしてそれを聞いた事務所の総意だった。オーディションを前に怖じ気づいて逃げたチャンジュンなんかに頼らなきゃいけないことが、一人では夢を追えないことが悔しくてたまらなかった。それでも、ここまで来たのに諦めることのほうがもっと嫌だった。だから、そこそこの実力を見せたチャンジュンが審査をパスしたことが気に入らないと同時にほっとしたのだ。
「俺はアイドルにはならないって言ったはずだけど。」
「お前だけ勝手に夢を諦めるなんて許さない。やっとスタートラインに立てたのに。お前がいなきゃ一生敵わないんだぞ。」
嘘はついていなかった。多少の罪悪感がありつつも、"夢"という言葉でチャンジュンを縛り付ける権利くらいチャンフンに与えられて然るべきだと思っていた。チャンジュンだけが悠々とごく平凡な青春を送るなんて許せなかった。

「初めまして。練習生のイデヨルです。」
事務所が唯一秘密を共有し協力を仰いだ練習生は、背が高く手足が長く、優しそうな雰囲気だった。
「あの・・・!Infiniteのイソンヨルさんの弟ですよね?番組で見たことあります!」
目をキラキラさせてチャンジュンが興奮気味にそう問いかけるのを聞いて、既視感の正体に気づいた。オタクみたいなことして恥ずかしい奴。そう軽蔑した視線を向けたけれど、当のデヨルはまんざらでもないようで嬉しそうに応対していた。だからすぐ"この人に兄の話はOK"とラベルを貼って脳にストックした。チャンフンはこうやって常に周りを観察してはそれぞれの性格や好みを正確に把握して対応を考えていた。ベッドの上で読み尽くした心理学の本の知識と地頭の良さがあれば相手の喜ぶ行動をとることは容易かったし、そうすれば誰にでも愛されるチャンフンで居られることは分かっていた。しかし、今のように何も考えずに正解をたたき出すチャンジュンに嫉妬していることも事実だった。別日に紹介された2つ上の練習生チェソンユンにも初対面で「目つきが気に入らない」と言われたのに、チャンジュンは「可愛い弟」と好印象を勝ち取っていた。
宿舎生活も高校生活も、しいては練習生としての名前までもすべてがチャンジュンのものだった。結局は事務所でも校内でもすぐに沢山の友人を作っていたし、ソンユンとも仲良く過ごしていた。最初はあからさまに不満を顔に出していたくせに、やっぱりここでも簡単に居場所を確保するのだ。弟のことは嫌と言うほど分かっているし、アイドルになるのに友達ごっこなど必要ないと自分に言い聞かせても、心のどこかでは「羨ましいな」と思ってしまうのだった。

「宿舎、お前が暮らした方が良いんじゃないか?」
チャンフンの生い立ちを聞いて、デヨルは最初そう提案してきていた。一瞬本心を見破られたのかと焦ったが、単に優しさの塊なだけであった。宿舎を引っ越す度にデヨルはめげずにそう誘い続けたが、チャンフンが首を縦に振ることはなかった。
「そんな男だらけの不潔なところに俺が住めると思いますか?」
半分は強がりだった。いくらメンバーの情報が頭に入っていても、今さら共同生活などさすがのチャンフンでも自信がなかった。チャンフンにとって、デヨルと同室でないのであれば宿舎など意味がないとも言えた。それならば時々デヨルが泊まりに来てくれるこの部屋の方が大切だとさえ思った。デヨルは初めて出来た友達であり兄であり、誰よりも大切な存在になっていた。デヨルの隣だけはチャンジュンにも絶対に譲る気は無かったし、この場所を守るためなら何だってやってやるつもりでいた。この気持ちが世間で言うところの"恋"にあたることには気づいていたが、簡単に口にできるものでもなかった。壊れてしまうのが恐くて、失ってしまうことが恐くて、それならばこのままずっと今の関係性で十分だった。

欲が出始めたのはデヨルが一人部屋じゃなくなったあたりからだったと思う。デヨルからの好意には気づいていても自分の心は隠したままであったが、前よりは行動に移すようになっていた。スキンシップをぐっと増やして、上目遣いで可愛く話すように心がけた。それと同時に、ソンユンへのアプローチも忘れなかった。いつまで経っても自分の気持ちに気づかないチャンジュンにいらいらしていたのと、こんなに長く過ごしていても違和感を感じず接してくるソンユンが面白くなかったからだ。態度からにじみ出ているソンユンの想いに気づかないことも驚きであった。自己評価が極端に低いせいなのか、それとも単に鈍感なのか。とにかくチャンフンは引っかき回してやろうと決めた。

元々"アンモナイトズ"や1年間登下校を共にしたエピソードなどから人気ケミになりうる素材は沢山あったのだが、無自覚なりに意識していたチャンジュンと全く興味がなかったチャンフンはどちらも自主的に絡みに行くことはなかった。そのせいか他の強力なケミを前に霞んで長らくスルーされていたのだ。チャンフンが本気を出してからはファンもいち早く気づいたようでデビュー前後の動画が掘り返されて盛り上がっている始末だった。チャンフンは練習の合間にツーショットを撮ってツイッターに載せたり、ごく自然にくっつく機会も逃さなかった。そうやって努めて一緒に居る機会を増やしても、どうしてチャンジュンはソンユンが好きなのか、ソンユンはあんなチャンジュンに本当に満足しているのか、甚だ疑問でしかなかった。トーク力やタレント力、ダンスの実力だって絶対に負けてないし、メインボーカルとメインラッパーならポジションも遜色ないはずなのに、ソンユンの人気が独走状態なこともいけ好かなかった。アユクデで走ればファンが増え、Vで爆笑するだけでファンが増え、ステージ毎ファンサイン毎に上がる写真の数からして違った。ファンに対する接し方や愛の重さが大きく貢献しているというのがリサーチを重ねたチャンフンの出した結論であったが、それでも納得はできなかった。「俺の方がアイドルなのに。かっこいいのに。」とチャンフンは思っていた。

「ソンユナ!」
二人の時は何度もそう呼んでからかった。そのうちそう呼ばれるとぱあっと明るく笑い、それはそれは嬉しそうな反応を見せるようになった。誰が見ても"恋"している表情だった。それを見てチャンフンは半ば勝った気になっていた。そのまま調子に乗って、デヨルにだけ目撃されるタイミングを狙ってキスまでした。驚きつつもやはりまんざらでもない様子のソンユンはその日はずっとにこにここちらを見ていた。帰宅してチャンジュンと対面したら果たして何が起こるんだろうか。その場面を想像しただけでチャンフンは笑いがこみ上げてくるのだった。

「チャンフナ、いくらなんでもやり過ぎじゃないか?ソンユンで遊んでるだろう?」
「だって面白いんですもん。まあ、俺とアイツじゃ全然態度が違うはずだから混乱してるんじゃないですかね?」
「お前はそうやって人の気持ちを弄んで楽しいか?」
「ソンユニヒョンだって喜んでるじゃないですか?どうせ"チャンジュン"のこと好きなんだし。」
「それは・・・」
「今は俺の方かもしれないですけど。アイツも馬鹿だな、素直にならないからこうやって俺にとられるんだよ。」
「チャンジュンはソンユンが好きなのか?」
「見たまんまじゃないですか。なんなら俺の方が先に気づいてましたけど。」
鈍感すぎて反吐が出る。このままソンユンがチャンフンを好きになっても、チャンフンは誤解を解く気など無かった。ソンユンがチャンジュンに告白する気がないことも分かっていたから、ただどこまでも平行線な二人に呆れるだけで協力する気はさらさらなかった。
「チャンフンはソンユンが好きなのか?」
「は?どこを見たらそう思えるんですか?」
「いや、そうじゃなくて。チャンジュンに嫌がらせがしたいからってだけでキスできちゃうんだなって・・・」
「あ、俺のこと嫌いになりました?いや、最初から好きじゃないか。」
「そんなこと言ってないだろ?」
「でも今、誰にでも良い顔するし簡単にキスだってしちゃう軽いやつだって思ってるでしょ。」
きっと軽蔑されてるんだろうな。そう思うと胸がきりきりと痛んだ。
本当はデヨルが好きなのに、こんなチャンフンの行動や言動からじゃ分かるわけないだろう。ヤキモチを焼かせたかっただけだったのに、辞め時が分からずにこんなところまで来てしまったのだ。
「思ってないよ。」
ぺっ
ビンタが飛んでくると目を瞑ったら、両頬を挟まれただけでそんな間抜けな音がした。
「俺には無理してるように見える。本当に楽しんでるとは思えない。」
ごめんなさい。気づいてくれて嬉しいのに、その優しささえもが辛く感じてしまう。俺にはそんな資格がないから。
「デヨリヒョン、俺のこと買いかぶりすぎじゃないですか?」
「俺はお前の性格も行動原理もちゃんと理解してるつもりだよ。そうやって強がるところも、悪者を演じようとするところも可愛いと思ってるよ。ただ、チャンジュンもソンユンも俺にとっては大切な弟達だから、これ以上は看過できない。チャンフナ、自分を痛めつけてまでそうする理由は何なの?グループを壊したいわけじゃないだろう?」
「俺の夢はアイドルとして、もっともっとみんなに存在を知ってもらうことです。それは昔も今も変わってません。そのためにチャンジュンも巻き込んだんです。でもそれとこれとは全く別の話ですよ。心配しなくても、ソンユニヒョンは告白する度胸なんてないですし、万が一されても俺は断りますよ?」
「そしたらチャンジュンはどうなるんだ?」
「さあ?なんですか、チャンジュンのために付き合ってあげろって言いたいんですか?デヨリヒョンは俺よりアイツの方が大事なんですね」
「そんなこと言ってないだろ?さっきから決めつけてばっかり・・・ああもう、分かったよ。このままじゃどんどん拗れていきそうだから、そうなる前にちゃんと言うよ。チャンフナ、俺はお前が好きだよ。お前が誰を好きでも・・・いや、本当は受け入れたくないけど・・・それでもお前が幸せなら俺は・・・」
「へえ、その程度なんですね。デヨリヒョンの気持ちは。俺のためだって言い訳して諦められちゃうんだ。」
こんな状況でもなお素直になれないチャンフンは自分の口から出る心と裏腹の言葉達の手綱を引くこともできず、罪悪感と闘っていた。
「そんな悲しそうな顔するな。俺は今までもこれからもチャンフンだけを見てるよ。だからチャンフンもよそ見しないで欲しい。」
「わざわざデヨリヒョンに見える位置でキスしたのには訳があるに決まってるじゃないですか。よかった、思った通りになって。」
これもまた強がりである。デヨルがここまでチャンフンの心を気遣えるなんて期待していなかったのだ。
「俺によそ見して欲しくなかったら、精一杯俺のこと捕まえていて下さい。」
大きな身体に包まれて熱が直に感じられ、ぎこちない口づけが繰り返された。言葉はなくとも、チャンフンが自分と同じ気持ちであることがデヨルには伝わってきた。素直じゃなくても虚勢を張っていても、どんなチャンフンもデヨルは大好きなのだ。今はまだはっきりと"好き"と言ってくれなくとも、それでこそチャンフンだと思う程度には。この日デヨルは久しぶりにチャンフンの部屋に泊まった。

愛に飢えていた少年が、世界で一つだけの、かけがえのない愛を手に入れた瞬間だった。





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チャンフンのほうが先に幸せになりました。チャンジュンはあと二話かかります。 2021.09.05


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